Googleの
JotSpot買収は、PC利用者それぞれの情報の取り扱い方がオフラインからオンラインへと使い勝手の境界がひろがっていく前兆なのだろうか。
情報をよりひろく共有できるという環境が整備されていくということは、ある意味でGoogleが使命だとスローガンにあげている
Google の使命は、Google 独自の検索エンジンにより、世界中の情報を体系化し、アクセス可能で有益なものにすることです。
の遂行にとって大きな一歩となるように思える。
つい、ビジネス的見地からみるとどこそこの企業のマーケット・シェアに食い入る等の「即、お金」的な発想や連想となることが多いけれど、そうした近視的な観察ではなく、5年後、10年後、あるいはもっと先のネット社会のあるべき姿をみたとき、社会がより複雑な次元構造を呈した時代をにらんだ取り組みではないだろうかと、ボクは思う。
ひと社会で、情報が氾濫、錯綜することで混乱が生じ、迷い、そして自分を見失うことが多くなった便利になったことのしっぺ返しとも言える社会現象は、情報が正しく伝わらないとかゆがんだ伝わり方のせいで誤解してしまうとか、悪意をもった情報伝播と情報操作が行われることが多くなったというのも、混乱やダメージの理由のひとつであるようにも思う。
より正しく、また知っておくべき情報に、よりタイムリーに迷うことなくアクセスできる「環境」が整っていけば、本来避けうる事態が信じ難くも起こるということも少なくなるように思う。
何事につけ、悪くとらえようとするのは簡単だ。
海の底でひっそりと輝く真珠の美しさが貝の殻とそのまわりのもので見えないかのように、実は見えていないだけじゃないのだろうか。
できるかぎり、そうした真珠の美しいと思う輝きを求めた情報の解釈もあっていいんじゃないだろうか。
ちょっと、話がずれてしまいそう。
「情報」と「共有」という話を、グーグルがそれまでの既成概念を画期的に検索エンジンでみせてくれたあたりと結び付けて考えると、本来輝くべき情報がリンクされている数と質からその情報の所在地を浮き上がらせようとしたように、今度はいかに「共有」されているかという角度から真珠のような情報の位置をネットでユーザーに知らしめようということだろうかというふうにも思った。
すでにソーシャル系という姿で、情報を含むページにスポットライトをあてるスタイルは一般化しつつあるから、より身近な感覚で「共有」することで共有する価値をより濃くしていこうという風に考えることもできる。
もっと視点をずらして考えれば、どんなにすごい性能をもった機械でも、使えないのであれば単なる粗大ゴミです。以前は使いこなすための技能や訓練といったものが必要である場合が多かったけれど、最近は誰にでも使いこなせるユーザー・フレンドリーなものも多くなってきた。 インターネットでも同じような感覚じゃないだろうか。
と、まぁなんだかまとまりのない文章で、終り。
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