歳とってくると、以前はそう思わなかったことが、そうかなぁ〜と素直でない思いかたになることがある。
「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのはだ〜れ?」
この世で一番美しいと鏡に答えてもらったとしても、
それがど〜した
って思ってしまう。
ましてや、美しいとうれしいという年頃の魔法使いでもなかったような気がしないでもないんだけど。
どちらかというと、美しいのはだ〜れというよりも、一番お金持ちなのはあ・た・し?
ってな問いかけのほうがより現実的だったんじゃなかろうか。
あるいは、美でもなく金でもなく、世界で一番しあわせなのは?っていう話であったほうが、テレビドラマとかのネタにしやすいんじゃないの?ってズレた考えにはしる。
「ぐーちゃん、ぐーちゃん、グーグルちゃん。世界で一番最初にでてくるページはど〜れ?」
ってな SEO とパロってみると、
自分が一番じゃなきゃいけないと思うひとが訊くのは、よろしくないのかなぁ、なんて思ったりもする。
自分は自分なりに精一杯なんだから、それでいいじゃないかというマインドあたりで満足していれば、みな幸せな気分を味わえなくもない。
そもそも鏡の主観?で美しい、そうでないという答えをもって、憤慨するあたりが微妙に病的な反応じゃないかと思う。鏡はグーグルと比べてどうなんだろう?
ひとと人との関係で考えれば、この人と一緒でいたいと思う人に「きれい、美しいよ」と言われればそれでよくて、電車のプラットホームの反対側から「あんた、きれいだね〜!」って知らないおっさんから叫ばれても悪い気はしないにしても、その場かぎりの話。どちらかというと、表面的なみた目だけで「きれいだね」と言われた場合はある種の優越感はくるだろうけれど、どちらかというと期限つきなもののような気がしないでもない。
瞬間的な注目を浴びるよりも、あの人は「ほんと、いいひとだよねぇ」といわれ続ける方がいい、そう思う。
なかなか並大抵なことではないけれど、こういうのってある種のロジックだと思う。
文系のSEO、理数系のSEO。どちらがどうかと言うと、どちらであってもなるたけ多くのひとが納得や理解できるロジックをもったSEOになっているのが最強だろうから、本来はそうしたロジックを組み立てられるウェブマスター次第という「結果」なのかも知れない。
そういうふうにみてみると、
ぐずる子供を穏やかにあやせる人は、ウェブマスター / ウェブミストレス としても潜在能力が高いのかな。なんてなことも思ったりする。
右側にごちゃごちゃ書いていた文章をテンプレートからとっぱらって、
カテゴリー、トピックのページへ移動しておいた。
[PR]登録サイト50万突破!A8.netでアフィリエイトをはじめよう!

- [ ブログ・カテゴリー : ] レビュー前メモ|
- パーマリンク|
-
TB:0|
-
Comment:0|
-
View blog reactions